she_ka’s diary

趣味のことを色々と。

ハーモニー

今回は、伊藤計劃著「ハーモニー」について書きます。

地元に帰ってとき、友達に薦められました。

率直に言って、面白かったです。そして単純に病んだよね。

まずは、書き方がすごく面白かった。ところどころに出てくるhtmlみたいなコマンドとか。

私はhtmlを少し知ってるフリができるので、「これ打ち込んだらこの感情通りの表情をした熊さんとか表示されるんじゃないの」と馬鹿みたいなこと考えてたんですけど。

最後の章読んで震えました。馬鹿にしてすみません。

内容に関して。たぶんだけど、善意の圧迫感って結構な人が感じたことがあるんじゃないですか?え、私だけじゃないよね…?

私、1ヶ月ほど前に手術したんですよ。

その時、家族友人含め周囲の人がやたらと「気づかいの行動」をしたんです。お見舞いに来たがったり、手術前にはメッセージ動画とかお守り的なアクセサリーをプレゼントされたり。

鳥肌が立ちました。なんのホラーかと思った。

気遣う言葉や行動が非常に気持ち悪くて、最低限失礼な態度とらないように必死だったよね。

こんな風に感じる私の人間性が歪んでるのはよく分かってます。だけど、この小説を読んで自分のこの感情を少し理解しました。

で、ここからは私の勝手な解釈なんだけど。

善意って、特に何かに苦しんでたり患ってる人に向ける善意ってその人の苦しみを共有したいってことだと思うんですよね。あなたの苦しみを理解してる。一緒に乗り越えよう。みたいな。

いや、まじで勘弁してください。

実際のところ私のつらさって私だけが感じることのできるもので。そこの悩みも恐怖も痛みも、全部私だけのもの。

「ぜんぶわたし自身のもの」って言葉、ハーモニーの中でも繰り返し出てきます。

自分だけのものを勝手に引きずり出されて、理解されて。まるでみんなのものみたいにする。そんなの嫌悪感抱いて当然じゃないですか?

自分の経験談も、励ますような言葉も、馬鹿みたいに優しい眼差しも。全部どうでもいい。だって私には関係ないから。そんなもので私を共有しないで。

こんなこと私が恵まれてる環境にいるから言えることだとは思います。

だけど、私はその恵まれた環境の中で、善意が気持ち悪くて吐き気がした。そんなこと「健全でない」ことがよく分かっているからこそ、尚更。

だから、今の時期に読んだハーモニーは特に響いたし、病んだ。

と、まあどうでもいい私の話は置いといて。

ミァハの望んだハーモニクスって世界、端から想像したらぞっとしますよね。みんな普通に生活して、表情もあるのに意識がないなんで。

そんな中に意識ある状態で放り込まれたら恐怖でしかないけど。

案外、私も意識のない一員になったら幸せな世界なのかも。感情とか倫理とか。そういうものも意識がなくなれば、存在しない。あるのは合理的な「もの」だけ。

そんな世界の一員になれたらどれだけ幸せだろう。

絶賛病み期の私はそう思ってます。この作品に本気で心酔したマッドサイエンティストが実現してくれないかな。

「マッド」って言っちゃってる時点で、私の意気地のなさは露呈してますけど。


あとは、何が面白かったかっていうと、この本を薦めてくれた友人も医療関係の学部の大学生だってこと。お互い「健康」を目的にする職業を目指してるのにこの作品に惹かれたのは、なんか面白いですよね。

どっかしらで感じてるのかも。善意、とか常識の名の下に存在する医療のエゴに。

まあ、そんなこと感じる前に免疫についてひとつでも理解しろって。うるせえな。分かってるよ。

とりあえず、他の作品とアニメも是非みたいと思います。